ドロップアウトしていた筆者が上海暮らしするブログ。成長の為とかこつけて色々見聞してます。 掲載情報の正確性については注意を払っておりますが、筆者独自の視点につき責任を負いかねますのでご了承ください。ご参考までにどうぞ。
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10/25 6日目 玉樹
ここに来れて本当に良かった。
今回の旅における自分的ベストスポット。
人々の祈りが天に運ばれるのであろう場。
前日、ついに目的地である玉樹に到着。
後は帰るのみである。
↑玉樹→西寧の寝台バスチケット(176元)。
バスは康定と甘孜の時と同じように翌日出発の為、
この日は街ぶらつき日。
↑街の中央ロータリー(左)と、そのすぐ隣にある広場。
この時はまだ日が昇っていない。
広場ではお香を売っていたり、中央の銅像をマニ車に見立てて
その周りを時計回りでぐるぐる回っている人がいた。
不思議な事にただの通りすがりの人も、
殆どがこの近くを通るときは時計回りで歩いていた。
開店前のお店。扉の装飾が凝っている。
広場ではヤクが朝の放し飼いにされていた。
同じく広場から見えた風景。
今日は奥に見える丘(山?)に登ってみる事にする。
道すがらのある交差点で撮った写真。
交差点中央の犬と太陽の構図が妙に印象的だった。
何だか太陽が近くないか?
途中のゴンパでは修行僧の人が見かけられ、
昼にはこの付近で子供達が元気よく遊んでいた。
同じく山道の途中で撮った写真。
こんなところで誰か寝るというのか?
その疑問は後で一つの仮説を思いつき解消される。
タルチョの数が半端なく多い。
そしてものすごく風が強い。
ちなみにこれらの紐は頂上にあった電柱に絡み付いている。
危険じゃない?と思ったが、
その様はまるで人々の信仰が科学文明を侵食しているかの如くに見えた。
途中で何度かルンタを持参した
地元参拝者らしき人達に遭遇したのだが、
そういう習慣が日常に根付いているんだなぁ、と思った。
この段階で既に街が一望できる。
しかし更に進み、
数あるタルチョを掻い潜ると。
山と空。
その大きさは写真に納まりきらない。
マニアックな話だけど、
この山を見た時にMP3で聞いてた曲が
たまたまMOTHERの曲だったので
自分の中で勝手に
ホーリーローリーマウンテンと呼ぶ事にした(笑)。
暫く目の前に広がる風景に呆然としていると、
空に何かが舞っている事に気付いた。
何となく今きた道を振り返ってみると
強い風にタルチョがたなびき、
ルンタが風に飛ばされ空へとばら撒かれていた。
その幻想的で荒々しい光景は
祈りが空に「運ばれる」、というよりもまさに「飛ばされる」
という表現のほうが適切で、
その印象は昨日宿の一件でへこんでいた
自分のネガティブさを吹き飛ばすのに十分だった。
この瞬間、自分の中で
自然(神?)>信仰>科学
という図式が浮かんだ。
風が吹いているときは寒かったが、
陽が差しているときはぽかぽかしていたので、
心行くまで目の前に広がる光景を堪能する事にした。
そこで、先ほどの簡易居眠りセット?は
この為のものではないかという仮説を思いつき、
そう解釈する事にした。
その方が面白い。
結局1時間ぐらい居て、街へと戻る。
↑広場にある銅像と広い青空の相性の良さは異常。
銅像はなかなか良い作りこみをしており、
躍動感がある。
この日は結局何も主食を食わなかった。
あと、この旅を通じてだが
結局、高山病の薬は使わないで済んだ。
おまけ
↑市場の前で見かけた某光の国から出張中?らしい彼。
いや、ひょっとしたらそっくりさんかもしれませんけどっ。
続く。
ここに来れて本当に良かった。
今回の旅における自分的ベストスポット。
人々の祈りが天に運ばれるのであろう場。
前日、ついに目的地である玉樹に到着。
後は帰るのみである。
↑玉樹→西寧の寝台バスチケット(176元)。
バスは康定と甘孜の時と同じように翌日出発の為、
この日は街ぶらつき日。
↑街の中央ロータリー(左)と、そのすぐ隣にある広場。
この時はまだ日が昇っていない。
広場ではお香を売っていたり、中央の銅像をマニ車に見立てて
その周りを時計回りでぐるぐる回っている人がいた。
不思議な事にただの通りすがりの人も、
殆どがこの近くを通るときは時計回りで歩いていた。
開店前のお店。扉の装飾が凝っている。
広場ではヤクが朝の放し飼いにされていた。
同じく広場から見えた風景。
今日は奥に見える丘(山?)に登ってみる事にする。
道すがらのある交差点で撮った写真。
交差点中央の犬と太陽の構図が妙に印象的だった。
何だか太陽が近くないか?
途中のゴンパでは修行僧の人が見かけられ、
昼にはこの付近で子供達が元気よく遊んでいた。
同じく山道の途中で撮った写真。
こんなところで誰か寝るというのか?
その疑問は後で一つの仮説を思いつき解消される。
タルチョの数が半端なく多い。
そしてものすごく風が強い。
ちなみにこれらの紐は頂上にあった電柱に絡み付いている。
危険じゃない?と思ったが、
その様はまるで人々の信仰が科学文明を侵食しているかの如くに見えた。
途中で何度かルンタを持参した
地元参拝者らしき人達に遭遇したのだが、
そういう習慣が日常に根付いているんだなぁ、と思った。
この段階で既に街が一望できる。
しかし更に進み、
数あるタルチョを掻い潜ると。
山と空。
その大きさは写真に納まりきらない。
マニアックな話だけど、
この山を見た時にMP3で聞いてた曲が
たまたまMOTHERの曲だったので
自分の中で勝手に
ホーリーローリーマウンテンと呼ぶ事にした(笑)。
暫く目の前に広がる風景に呆然としていると、
空に何かが舞っている事に気付いた。
何となく今きた道を振り返ってみると
強い風にタルチョがたなびき、
ルンタが風に飛ばされ空へとばら撒かれていた。
その幻想的で荒々しい光景は
祈りが空に「運ばれる」、というよりもまさに「飛ばされる」
という表現のほうが適切で、
その印象は昨日宿の一件でへこんでいた
自分のネガティブさを吹き飛ばすのに十分だった。
この瞬間、自分の中で
自然(神?)>信仰>科学
という図式が浮かんだ。
風が吹いているときは寒かったが、
陽が差しているときはぽかぽかしていたので、
心行くまで目の前に広がる光景を堪能する事にした。
そこで、先ほどの簡易居眠りセット?は
この為のものではないかという仮説を思いつき、
そう解釈する事にした。
その方が面白い。
結局1時間ぐらい居て、街へと戻る。
↑広場にある銅像と広い青空の相性の良さは異常。
銅像はなかなか良い作りこみをしており、
躍動感がある。
この日は結局何も主食を食わなかった。
あと、この旅を通じてだが
結局、高山病の薬は使わないで済んだ。
おまけ
↑市場の前で見かけた某光の国から出張中?らしい彼。
いや、ひょっとしたらそっくりさんかもしれませんけどっ。
続く。
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